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- 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
- 発売日: 2002/11/01
- メディア: DVD
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ただし、カーペンターというフィルターを外してみることはあまりおすすめできない。構成に粗が目立ってしょうがない。
大筋は原作に忠実。
ある日、ミッドウィッチの中で多数の大人が失神し、暫くあとになって大人たちのうち、女性たちが身ごもっていることが発覚する。生まれた子どもたちは、どれも天才的、超常的な能力の持ち主だった。大人たちは、やがて生まれた子どもたちを敵と見なし、この世から消してしまおうとする……。
子供たちとのドラマを演じる、というメインとなる物語はそのまま映画化されている。群像劇であるが故の宿命というか、人物像の描写が少ない。二時間以下という枠の中で様々な人物を動かし、かつ子どもと大人の関係という、非常に曖昧でデリケートな問題を扱うことには、そもそも物理的な限界があったのかもしれない。
あと、演技の問題。クリストファー・リーブ演じるアランをはじめ、子供たちに対する怒りや恐れといった単純な感情は演技によって充分に表現されているので、最低限の心理描写はされているといえる。が、その最低限以上のことがされてない。
例えば、子どもたちの父親(とされる男)と母(とされる女)の子どもに接する時の感情が”子どもの誕生への喜び”と”子どもが変質することへの恐怖”に二元化されていること。(アランの妻は子どもを守ろうとするが、子どもを守ろうとか、殺すべきか否か、とか悩む描写は彼女にしかなかった。)
これがどういう事を示すかというと、単純な人物と物語の組み合わせは、宇宙人とのファーストコンタクトと見分けがつかない、ということだ。本来、この二つの物語に含まれる内容はまったく異なるはずだ。ファーストコンタクトはコンタクトの内容に意味が見いだせるのに対して、出産ということは男女の感情の噛み合わせをはじめとした、コンタクトとはまた違った個人的な内容に踏み込んだ内容になる必要性があるからだ。
また、後半の感情の同一化も酷い。子どもたちの周囲で起こる自殺や事故から、彼らを憎む多数の村人という多数派の怒りは当然だといえる。それは納得できるとして、子を産んだ女性、それを支える男性たちも、その多数派に含ませるのはいかがなものか。子どもに対して”怒り”を抱き、それに対して何の葛藤を抱かない、というのは一般的な倫理観からして考えられないのではないだろうか。
この映画はそのあたり、すなわち個人的な事情に踏み込まなかったせいで、ものたりない映画になっている。
総体的に映画の出来はそれほど悪くない。カーペンターらしい小味の効いた演出、子どもたちの動作の一つ一つの不気味さは彼でしかできないだろう。
ツインピークスのように登場人物それぞれに物語をつけて連作形式にするか、登場人物を絞ったりすれば、面白い映画になったのではないかと思う。
惜しい。惜しすぎる。
by straw副会長